甲子園・高校野球で
『白河の関越え』『白河越え』との表現をよくします。
甲子園で北海道・東北勢が優勝し、
優勝旗が“白河の関”(現福島県白河市)を越えることという意味で使われてきました。。
“白河の関”は、
奥州三関のひとつに数えられる関所があった場所のこと。
北海道・東北の高校の優勝が
長年無かったため、いつしかその偉業は
「白河の関越え」と呼ばれるようになったそう。
2004年に北海道の駒澤大学附属苫小牧高等学校が
東北・北海道勢 初優勝をとげていますが、
白河の関どころか、津軽海峡(函館-青森間)も越えたため、
これは「津軽海峡越え」といわれ、
近年では、
本当の「白河の関越え」は陸路で“白河の関”を越える
東北勢の優勝のことを指す流れになっているらしいです。
2012年は、
決勝で大阪桐蔭(大阪)対 光星学院(青森)と
東北勢が決勝まで勝ち上がったため、
陸路での「白河の関越え」も期待された一戦でしたが、
3-0で大阪桐蔭が優勝となりました。
駒苫の優勝
悲願の「白河の関越え」どころか
「津軽海峡越え」を果たしたのが、先ほど挙げた
2004年夏、北海道の駒澤大学附属苫小牧高等学校(駒大苫小牧)の優勝です。
翌年の2005年夏も駒大苫小牧が優勝。
2006年夏、駒大苫小牧は決勝まで行ったものの、
準優勝に終わりましたが、
このあたりは、元東北楽天ゴールデンイーグルスの
マー君こと田中将大選手が
駒大苫小牧で活躍していた時期ですね。
2006年決勝での、ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手
(現:北海道日本ハムファイターズ 当時:早稲田実業学校高等部)
との投げ合いを、高校野球の
名試合のひとつに挙げる人も多いのではないでしょうか。
白河の関について
白河の関での
人、物資の往来を取り締まる関所としての機能は
徐々に失われたものの、
「歌枕」(和歌の名所)として
文学の世界では憧れの地ともされていたそう。
実際に詠まれた古い歌では
「便りあらば いかで都へ告げやらむ
今日白河の関は越えぬと」(平兼盛 拾遺和歌集)
「都をば 霞とともに立ちしかど
秋風ぞふく 白河の関」(能因法師 後拾遺和歌集)
などが有名です。
ちなみに、白河の関(しらかわのせき)を含む
奥州三関(奥州三大関所)のあと2つは
鼠ヶ関(ねずがせき)と勿来関(なこそのせき)のことです。
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