最近、
『世界名作劇場 赤毛のアン』
(1979年 日本アニメーション制作 全50話)を
観ています。(20話前後)
赤毛のアンの小説は、読んだことがなく、
このアニメで初めてこの物語に触れているのですが、
すっかりはまってしまいました。
何が良いのかというと、
マリラから目が離せないのです…
…というと語弊があるかもしれませんが、
とにかく、すっかりマリラに感情移入してしまっているのです。
アンが来るまでマリラは、
グリーンゲイブルズに兄のマシューと二人で住んでいました。
アンを引き取ったときに原作ではマシューの年齢は60歳、
マリラは、原作には年齢が明記されていないそうですが、
マシューの妹ということで、50代あたりでしょうか。
アンは、物語の最初の段階で11歳。
もし、私が子供のときに、この物語を読んでいれば、
アンを中心に物語を見ていたかもしれません。
でも今は私自身マリラの年齢の方が近いので、
マリラの方に感情移入するのは、当然といえば当然です。
監督である高畑勲さんによると、
『登場人物をアンの立場から、マリラの立場からなど
“二重に楽しめる構造”にしていた』(略)
とあったので、あえて、そういう見せ方にしていたことを知りました。
それに見事に自分がはまった形でもあります。
『子育て経験の無い中年~熟年の女性が、
思春期と呼ばれるにあたる年齢の子供を引き取ることになる』
観始めてまず、この状況が、おもしろくなりそうだな、と思いました。
本格的に、アンを引き取ろうと決めたときに
マリラがマシューに言ったセリフをメモしていたのですが、
マリラ「ええ、ええ。
世の中を渡って行くには、
それぞれ苦労を分け合わなくちゃならないけど
これまで気楽にやってきた私に、とうとうバンがまわってきたようですよ。」
こう言って、マリラはかなりやる気をみせていたかと思います。
赤毛のアンを観る前は、『もしかして、マリラがアンをいじめる展開になるのかも…』
と邪推していたので、始めの方は、おそるおそる観ていたのですが、
このセリフが出る頃には、すでにそういう心配は一切なくなっていました。
マリラ・マシューには子供がいないから、
マリラは、最近の学校の状況に最初は疎かったり、
アンが初めて学校に行って、学校から帰ってきたときに、
アンが楽しそうに話すことにほっとしたり…
そうだろなあ、と思いながら観ていました。
私自身も子供を育てたことがないので、
どうしてもマリラ目線で共感してしまいます。
マリラは、序盤、一見気難しそうな表情をしているように見えます。
もちろんもともとの性格もあると思いますが、
それは長年、暮らしをおろそかにせず、自分自身で道を決め
自分の足で歩いてきたからからこそあらわれる、芯の強い者の表情のように思います。
それを最も感じたのは、
マリラのブローチが無くなったときのエピソードです。
それは、
“アンはもしかしたら、嘘をつく子なのかもしれない”
誰もがそう思ってもしかたのない状況が続くエピソードでした。
盗みをはたらく子を、家におかなければならない恐怖に気づき、
マリラは疲弊しながらも
“一度決心したこと(アンを引き取り、育てよう)には
後悔しないと決めているんだ” ←うろ覚えです
と、
アンがたとえ、悪い嘘をつく癖があっても、
物を盗る子だったとしても
最後まで育てると決めたんだ、というマリラの強い決意を再確認したうえで、
そのエピソードは真相へと向かいます。
真相:アンが盗ったのではなく(遠足?に行きたいがための嘘はつきましたが)
ブローチは、マリラ自身が失くしたものだったとわかります。
真相がわかる前の段階で、
アンと、とことん向き合う覚悟を揺るがせない姿を見せたマリラに
その芯の強さを感じました。
アンをどんどん好きになり、笑う声も増え
新任の牧師さん夫婦をのぞきにいくという
おちゃめな表情さえ見せはじめるマリラ。
これからどのように物語が収束していくのか、楽しみです。
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