2020年8月30日の朝日新聞に、
『Thanks.』 という言葉とともに、
あしたのジョーの有名なラストシーン
(ジョーが椅子に座って下を向いている姿)が載った
全面広告が出されました。
8月31日で閉園になる、としまえんからの広告です。
“ジョーのように、真っ白に燃え尽きるまで全力で戦ってきた”
と読み取れる、としまえんの気持ちを表したメッセージはもちろんですが、
その他に、
“としまえん”と“あしたのジョー”に、何か関わりがあったのかどうか
簡単に調べてみました。
わかったのは、
アニメ「あしたのジョー2」の地上波放送の最終回が、
としまえんの閉園日と同じ8月31日(1981年「青春はいま…燃えつきた」)だったことと、
あしたのジョーの作者である、ちばてつやさんの自宅が
練馬区の富士見台にあり、
としまえん(練馬区向山)と近いということでした。
ちばてつやさんは、練馬区の名誉区民でもあります。
あしたのジョーは、
漫画内に出てくるジョーのふるさと泪橋(現在は橋ではなく交差点)が、
台東区で、
試合がよく行われたのが、
文京区の後楽園ホールでした。
(他ホセ戦:千代田区の日本武道館、ハリマオ戦:渋谷区の東京体育館など)
私は、あしたのジョーを全部読んでいないので(アニメの映画は2本観ました)
もしかしたら作品内に何か関係のあるものが出てきているのかもしれませんが、
地元からも愛された遊園地だったという意味としても、
ちばてつやさんが、お近くにお住まいだったという点が、やはり
としまえんの閉園前の広告に決まった大きな理由のひとつではないかと思います。
・
1926年に開園したとしまえんは、
太平洋戦争で一時閉園したことがありながらも、
戦後1973年に完成した波のプールが大ヒットし、
1970~1980年代には、来場者数が急増、
1992年には来場者数の400万人超えを記録したといいます。
あしたのジョーの連載が1968年から1973年
(アニメ第1作が1970年から1971年、あしたのジョー2が1980年から1981年)
ということで、
どちらも、熱狂した、憧れた年代がかぶるというか、
子供から若者時代を振り返ったときに
あしたのジョーの人気を肌で(リアルタイムで)感じ取っていた人は、
きっと、としまえんの最盛期の人気ぶりも思い出せる人なのではと予想します。
(全然違ったら、すみません…)
何はともあれ、関係者の方々お疲れさまでした。
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